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NOVEL

2025.12.19

小島屋短編小説「夢を削る日々」第36話「形になり始めるもの」

朝の工房には、昨日までの緊張とは少し違う空気が流れていた。曲げ加工を終えた部材は、一晩置かれ、静かに落ち着いた表情を見せている。翔太はそれらを一本ずつ手に取り、歪みや割れがないか確かめた。指先に伝わる感触は、確かな手応えを伴っていた。

「ちゃんと、応えてくれてる……。」

木は言葉を持たないが、正しく扱われたとき、必ず何かを返してくれる。翔太はそう信じてきた。今日からはいよいよ組み立ての工程に入る。椅子づくりの中でも、全体の印象が一気に立ち上がる、大切な段階だった。

佳奈が工房に入ってくると、部材が整然と並んだ様子を見て目を丸くした。「わあ……もう、椅子の気配があるね。」

「うん。まだ骨組みだけど、線はちゃんと生きてる。」

翔太はそう言って、スケッチと実物を見比べた。紙の上では軽やかだった曲線が、実際の木になると重みを帯び、存在感を放っている。その違いに、少しだけ戸惑いも覚えた。

午前中は、ホゾ組みの調整に集中した。ノミで少しずつ削り、木槌で確かめる。その繰り返しは、地味だが神経を使う。わずかな狂いが、後の工程すべてに影響してしまうからだ。

「急がない、急がない……。」

自分に言い聞かせるように、翔太は作業の手を緩めた。以前なら、早く形にしたい気持ちが先走っていたかもしれない。しかし今は違う。一本一本の部材と向き合い、対話する時間を惜しまなかった。

佳奈は少し離れたところで、静かに作業を見守っている。時折、削り屑を片付けたり、道具を手渡したりするだけだが、その存在が不思議と集中力を高めてくれた。

「佳奈、ちょっと見てくれる?」

「うん。」

仮組みされた脚部を前に、翔太は不安そうに尋ねた。「この角度、どう思う?」

佳奈は椅子をぐるりと回し、少し腰を落として目線を合わせた。「座ったとき、自然に背中を預けられそう。安心する形だと思う。」

その言葉に、翔太の胸がふっと軽くなった。職人としての判断だけでなく、人としての感覚。それを信じていいのだと、改めて思えた。

午後、すべての部材を仮止めし、椅子はついに“立った”。まだ接着も仕上げもされていない、未完成の姿。それでも、工房の中央に置かれたそれは、確かに椅子だった。

翔太は一歩引き、じっと眺めた。想像していたよりも、ずっと静かで、ずっと強い佇まい。

「……いいな。」

思わずこぼれた言葉に、佳奈が笑った。「うん。なんだか、翔太くんそのものみたい。」

「それ、褒めてる?」

「もちろん。」

二人は顔を見合わせ、軽く笑った。その笑い声が、工房に柔らかく響く。

夕方、椅子にそっと腰を下ろしてみる。まだ不安定で、きしむ音もする。それでも、背中に伝わる感触は想像以上に心地よかった。

「……いけるかもしれない。」

翔太は小さく呟いた。完成まではまだ遠い。それでも、確かな道筋が見え始めていた。

佳奈は窓の外に目をやりながら言った。「形になり始めると、ちょっと怖くなるね。」

「うん。壊したくなくなる。」

「でも、壊さないと先に進めないこともある。」

その言葉に、翔太は静かに頷いた。作ることは、決断の連続だ。守ることと、壊すこと。その両方を引き受ける覚悟が、今の自分にはある。

工房に夕焼けが差し込み、未完成の椅子の影が床に長く伸びた。その影は、これから形になる未来を、静かに予告しているようだった。


(37話へつづく)
(文・七味)