朝の工房には、少し緊張した空気が漂っていた。窓から射し込む光の中に、埃が静かに舞っている。翔太は作業台を丁寧に拭き、工具の並びを整えた。いつもなら気にも留めない細部に、今日は自然と目が行く。
「そんなに神経質にならなくても大丈夫だよ。」
佳奈が笑いながら声をかけた。いつものようにコーヒーを淹れながら、翔太の様子を見ている。「取材っていっても、翔太くんの普段を見たいだけなんだから。」
「そう言われても、落ち着かなくてさ。職人なのに、話すほうが苦手なんだよ。」
「それも含めて翔太くんらしさだよ。」佳奈は穏やかに言った。「それをちゃんと見せたら、きっと伝わる。」
その言葉に、翔太の肩の力が少し抜けた。
午前十時。取材のチームがやってきた。編集者の山崎は前回の展示会で翔太の作品を見ていた人物で、どこか温かみのある眼差しを持っていた。カメラマンとともに工房の中を見渡しながら、「この空気がいいですね」と呟いた。
「無理に構えなくて大丈夫です。普段通りでお願いします。」
翔太はうなずき、作業台の前に立った。カメラがシャッターを切るたび、ノミの音や木の香りがいつも以上に鮮やかに感じられる。取材というより、自分の時間を少し外に開くような、不思議な感覚だった。
「最初の作品を覚えていますか?」と山崎が質問した。
翔太は少し考えてから答えた。「はい。展示会のときに出した椅子です。正直、今思えば荒削りでした。でも、あのときの必死さがあったから今があると思います。」
「では、今回の一脚は?」
翔太は一瞬言葉を探し、それからゆっくりと口を開いた。「人の暮らしの中に、長く居られる椅子を作りたいと思いました。毎日の生活の中で、気づかないうちに支えてくれるような…そんな存在になれたらと。」
山崎は微笑み、うなずいた。「とてもいい言葉ですね。」
その瞬間、翔太は少しだけ自分が“語れる職人”になった気がした。木と向き合うだけではなく、作る意味を人に伝えること。それが新しい責任でもあるのだと感じた。
撮影がひと段落したころ、佳奈が差し入れのコーヒーを持ってきた。山崎は湯気の立つカップを受け取りながら言った。
「いいパートナーがいるんですね。工房にすごくいい空気が流れてる。」
佳奈が少し頬を染め、翔太は照れくさそうに笑った。「ええ、彼女がいなかったら、きっとここまで来られなかったです。」
その言葉は自然に口をついて出た。佳奈は驚いたように翔太を見つめ、それから小さく微笑んだ。言葉以上に、その視線がすべてを伝えていた。
取材が終わり、カメラマンたちが機材を片づけるころには、工房の中に柔らかな夕光が差し込んでいた。山崎は最後に一枚、翔太と佳奈、そして完成した椅子を一緒に撮った。
「この写真、きっと記事の最後に使わせていただきます。これからも楽しみにしています。」
編集チームが去ったあと、工房に再び静けさが戻った。翔太は椅子の背を撫でながら、ぽつりと呟いた。
「なんだか、不思議だな。自分の作ったものが、人に見てもらえるなんて。」
佳奈が隣に立ち、同じように椅子に触れた。「でも、それが翔太くんの仕事なんだよ。人に届くものを作ること。」
その言葉に、翔太はゆっくりと頷いた。工房の外から、風がふっと入り込む。木の香りとコーヒーの匂いが混ざり、二人の未来を優しく包み込んでいた。
数日後、雑誌が発行された。特集のタイトルは――『静けさの中で生まれる形』。そのページをめくると、翔太と佳奈が並んで写る写真があった。どちらも少し照れたような笑顔で、それでも確かに「今」を生きる職人たちの顔だった。
(33話へつづく)
(文・七味)