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NOVEL

2025.06.13

小島屋短編小説「夢を削る日々」第23話「 注文の椅子をつくる」

工房に戻った翔太の胸の内には、ひとつの小さな物語が根を張っていた。窓辺に差し込む光の中で朝の時間を過ごす、その穏やかな暮らしの風景。それに寄り添う椅子を、自分がつくるということ。

「香りがあって、やわらかすぎず、包み込まれるような感覚か……」

声に出してみると、その抽象的なイメージが少しだけ輪郭を持ち始める。翔太はスケッチブックを広げ、静かに線を引き始めた。まずは全体のシルエットから、次に背もたれの角度、座面の湾曲。そして手触りの記憶。過去に触れたナラ材とチェリー材を思い浮かべ、両者の違いを細かく検討した。

翔太が選んだのは、木目が優しく香り高いチェリー材だった。柔らかな紅色と、時を重ねて深まる色合い。その変化も、椅子とともに生きていく楽しみの一部だと思った。

加工を始める前に、翔太は木材のすべての面を手でなぞり、癖や繊維の走り方を一つひとつ確認した。チェリーは油分が多く、刃物の切れ味が鈍ることもあるが、それがまた味わいを増す。いつも以上に手入れを重ね、丁寧に一刀一刀を加えていく。

背もたれの形は、女性が「包み込まれるような」と言った言葉をもとに、肩甲骨の下に自然とフィットするラインを探った。曲げ木の技法を使うか、あるいは緩やかな削り出しか。何度も試作を重ねた末に、翔太は蒸し曲げ加工を選んだ。

蒸し器で蒸した木を、型に合わせてゆっくりと曲げていく。その瞬間、木が抵抗する。が、無理に力をかければ割れる。木と対話しながら、自然の力に従っていく——その緊張感が、翔太には心地よかった。

座面はわずかに沈み込む構造を選び、詰め物はせず、無垢材のままで凹みをつけた。身体の形に沿うような湾曲を、ノミとカンナで少しずつ整えていく。仕上げにアマニ油を薄く塗り、指先でじっくりと磨く。

仕上がった椅子は、静かで穏やかだった。

光を受けて浮かび上がる木目、手を置けばしっとりと吸い付くような感触。どこまでも誠実な手仕事の跡がそこにあった。

翔太は椅子に座り、リビングの窓辺を思い浮かべた。

そこに、この椅子がある。女性が静かにお茶を飲む。その時間を、この椅子が支える。

「届けよう。」

そう呟いた声は、今までにない静けさと確かさを持っていた。


(24話へつづく)
(文・七味)