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NOVEL

2025.05.30

小島屋短編小説「夢を削る日々」第22話「 初めての受注」

工房に日の光が温かく漂う朝、翔太はいつものように椅子の材料となる木材を手にとっていた。ここのところ、自分の理想に近づくための試行錯誤が続き、手に汗握る緊張の日々が繰り返されていた。そんな緊張の湿り気が木材にうっすらとついている。

そんな時、工房の電話が鳴った。電話に出たのは佳奈。佳奈の表情が物語っていた。

そして佳奈が、顔を乗り出して翔太に叫んだ。

「翔太くん、お客さんからだよ。指名で。」

「指名で?」

佳奈の方が興奮している。翔太はこれから待ち受ける、本当の意味での一歩目をすぐに知ることになる。

何のことかと思いながら電話を受けると、親しげなイントネーションのなまり声が聞こえた。ゆっくりと、丁寧な口調である。

「この前、展示会で翔太さんの作品を見たんです。翔太さんが作るものが、なんだか家のインテリアに合う気がして…ずっと椅子を探していたんです。翔太さんの作品を見てピンッときたんです。我が家のインテリアに合いそうな椅子を作ってもらえませんか?」

そこから何を話したか、翔太はあまり覚えてない。

初めての指名だということを改めて自覚し、指名がこんなにも嬉しいものだと初めて知った。

受話器のから聞こえたその声を翔太はずっと忘れないだろう。

翔太は、少しぎこちないままではあったが、溌剌と返答をした。

「もちろんです。ありがとうございます!」

これが、初めての受注だった。

そして週末、翔太は初めてのお客との打ち合わせに向かった。指定されたのは、郊外の住宅街にある、明るい庭が見えるリビングだった。

対応してくれたのは、穏やかな表情をした年配の女性だった。彼女は翔太を迎えると、リビングの一角に案内し、こう言った。

「ここに置く椅子をお願いしたいの。日が差し込むこの窓辺で、朝にお茶を飲むのが私の楽しみでね。」

翔太は頷きながら、手帳を開いた。

「この窓辺の高さや明るさ、あと、ご希望の座り心地など、具体的にお聞かせいただけますか?」

女性はにっこりと笑い、こう答えた。

「柔らかすぎないけれど、体が包まれるような感覚が好き。あと、木の香りがする椅子がいいわ。」

翔太はうなずきながら、現場の空気を感じ、視線を木の床や壁へと移す。

「樹種はナラかチェリーあたりが合いそうです。香りの持続と木目のやわらかさ、両方あるので。」

打ち合わせは静かに、けれど温かく進んだ。

女性は最後にこう言った。

「翔太さんの椅子、展示会で座ったとき、とても気持ちがよかったの。だからお願いしたのよ。楽しみにしてるわね。」

その言葉を胸に、翔太はゆっくりと工房への帰路についた。

彼の頭の中には、もうすでに次の設計図の一部が描かれ始めていた。

数週間後、椅子は完成した。

目の前に立つ椅子は、潤らかで、やさしくて、どこか成長した自分の心をすら写しているように見えた。

翔太は、そっとその椅子に座った。

「誰かのためのものを、成功させる。これは、すごく大きなことだ。」

初めての受注。初めてのオーダー作品。

その足元には、小さくも確かな自信が残っていた。

これは、翔太にとって、未来に繋がる、本当の意味での「一歩目」だった。


(23話へつづく)
(文・七味)