new

NOVEL

2025.04.11

小島屋短編小説「夢を削る日々」第19話「 小さな展示会」

「今度、うちの工房で小さな展示会をやるぞ。」

ある日、村上がふいにそう言った。

翔太も佳奈も、手を動かしていた作業を思わず止めた。展示会――それは村上の工房で働く誰にとっても特別な機会だった。普段はひたすら木と向き合い、無言で汗を流す毎日。だが、その成果を外の人に見てもらうことはほとんどない。村上自身も、宣伝や販売に熱心なタイプではなく、作品が「必要な人に届けばそれでいい」という考えの職人だった。

「うちで初めて作った椅子を持ってきてもいいし、新作でも構わない。大事なのは、自分が『これは見せたい』と思えるものを出すことだ。」

翔太の心が一気にざわついた。展示会など、自分にはまだ早いのではないか。そんな思いがよぎる。一方で、心のどこかで「見せたい」という気持ちも確かにあった。

その晩、翔太は自分の作業台の横に立ち、これまで作ってきた試作品の椅子を見つめていた。ガタついた第1号、不格好な第2号、ようやく形になった第5号、そして最近完成した曲線を取り入れた椅子。すべてが、彼の成長の証だった。

「どれを出そう……いや、やっぱり、新しいのを作りたい。」

翔太は決意を固め、展示会に向けた新しい椅子作りに取りかかった。

翔太が目指したのは、「誰かの日常に、そっと寄り添う椅子」だった。過度な装飾はせず、けれど、見る人の心を温かくさせるようなフォルム。柔らかな背もたれの曲線と、程よい高さの座面。そして、木の質感を最大限に活かすオイル仕上げ。細部の手触りにもこだわった。

藤本の工房で習得した曲線加工の技術も活かした。背もたれは一枚板から削り出し、木目の流れを意識して自然なラインを描く。脚の角度や座面の傾斜は、何度も試作を繰り返して決定した。

「この椅子を見た人が、『家に置きたい』って思ってくれたらいいな。」

翔太はそんな願いを込めて、静かに削り続けた。

展示会当日、工房はいつもと違う空気に包まれていた。床は掃き清められ、照明が少し明るく調整され、翔太や佳奈、そして村上の作品がそれぞれ丁寧に配置されていた。

外には「村上木工 展示会」の手書きの看板が立てられ、近隣の人々や村上の知人、家具に興味のある客たちがちらほらと訪れていた。

翔太の椅子は、入口から少し奥のスペースに配置された。木の温かさが伝わるよう、あえて壁際の自然光が差す場所を選んだ。椅子の横には、翔太が書いた短い説明文が立てられていた。

「この椅子は、毎日の暮らしの中で、そっと背中を預けられる存在になれるようにと願って作りました。」

訪れた人々は、興味深そうに椅子に触れ、実際に座ってみたり、木の香りを感じたりしていた。翔太は近くでその様子をそっと見守っていたが、心の中では緊張が高まっていた。

「ねえ、この椅子、なんだか落ち着くね。」
「うん、背中が包まれる感じがして、いいかも。」

そんな言葉がふと聞こえた。翔太の心に、じわっと温かいものが広がった。

一方で、佳奈の展示スペースも多くの人で賑わっていた。彼女の作品は、洗練されたデザインと実用性を兼ね備えており、やはり一段上の完成度があった。翔太はその椅子を眺めながら、以前より素直に「すごいな」と思えるようになっていた。

展示が落ち着いた頃、佳奈が翔太に声をかけてきた。

「見たよ、翔太の椅子。やさしい感じがして、私、好きだった。」

翔太は少し照れながら、「ありがとう」とだけ答えた。言葉にしなくても、お互いの努力と成長を感じ取っていた。

展示会の最後、工房の奥で片付けをしていた翔太に、村上が声をかけた。

「よくやったな。」

翔太は一瞬、何のことか分からず顔を上げた。

「お前の椅子、ちゃんと“伝わって”たぞ。」

翔太は驚いた。村上は普段、評価らしい言葉をほとんど口にしない。それだけに、その一言の重みは計り知れなかった。

「ありがとうございます……」

短く答えながら、翔太は心の奥で静かにガッツポーズをしていた。

夜、展示会の片付けが終わり、工房に静けさが戻った頃、翔太は展示した椅子にもう一度座ってみた。

「ちゃんと、伝わったのかな……」

背もたれに体を預けると、不思議と肩の力が抜けた。自分で削り、磨き、組み立てた椅子。その上で感じる心地よさは、他のどの椅子よりも確かなものだった。

翔太にとってこの展示会は、「評価される」ためではなく、「誰かに届ける」ためのものだった。そして実際に、自分の椅子が人の言葉や表情に影響を与えたという事実。それこそが、何よりの収穫だった。

「次は、もっと多くの人に、自分の椅子を届けたい。」

そう思いながら、翔太は椅子から立ち上がり、そっと手をなでた。

その手のひらには、確かに職人としての自信が、少しずつ刻まれ始めていた。展示会は終わった。しかし、翔太の挑戦は、これからさらに続いていく。


(20話へつづく)
(文・七味)