佳奈のコンペ入賞から数日が経った。翔太は自分の作業台に向かい、鉋を手に取るものの、どうにも集中できなかった。頭の中には、「俺はまだ賞を取れるレベルじゃない」という言葉がこびりついたままだった。
佳奈の作品が評価されたのは、彼女が「暮らしの中で自然に使われる家具」を考えていたからだ。翔太もまた、「誰かのための椅子」を作りたいと思っていた。しかし、それが具体的にどんな形なのか、まだはっきりと掴めていない気がした。
焦りが募るほどに、鉋の刃は木材をうまく滑らず、思うように作業が進まない。イライラしていると、村上がふと声をかけた。
「最近、お前の削りくずが雑になってるな。」
「……すみません。」
翔太は刃を研ぎ直そうとしたが、村上はそれを制した。
「研ぎ直す前に、一回深呼吸しろ。」
村上に言われるがまま、翔太は深く息を吸い込んでから吐き出した。すると、少しだけ肩の力が抜けたのがわかった。
「焦るな。誰かと比べるために作るもんじゃないだろ?」
翔太は、はっとした。
佳奈の成功を目の当たりにしてから、翔太は知らず知らずのうちに「自分も結果を出さなきゃ」と思い込んでいた。しかし、それは村上の言う通り、「誰かと比べるためのもの」になっていたのかもしれない。
本当に自分が作りたい椅子は、そんな競争の中で生まれるものなのか?
翔太はその問いに答えを出せず、考え込んでしまった。
その日の夕方、翔太は無意識のうちに工房を出て、歩き始めていた。気がつけば、小さな公園のベンチに腰掛けていた。
「俺は、なんのために椅子を作りたいんだろう?」
ふと、公園の片隅で老夫婦が木製のベンチに腰掛けているのが目に入った。二人は静かに並んで座り、ゆっくりと話をしている。特別な装飾のない、ただのシンプルなベンチ。しかし、その上には確かに二人の穏やかな時間が流れていた。
翔太は、その光景をしばらく眺めていた。
「……椅子って、こういうものなのかもしれない。」
コンペに出すような華やかなデザインじゃなくても、賞を取るような作品じゃなくても、誰かの生活の中にそっと溶け込み、その人の時間を支える。翔太が作りたいのは、そういう椅子なのではないか。
自分が目指しているのは、誰かに認められることではなく、「誰かの暮らしの一部になること」。そのことを、翔太は改めて実感した。
工房に戻ると、村上が黙って作業をしていた。翔太はスケッチブックを開き、改めて新しい椅子のデザインを考え始めた。今度は「コンペに出すため」ではなく、「誰かが毎日使いたくなる椅子」を作るために。
「村上さん、俺、自分のための椅子を作ります。」
村上は手を止めると、翔太を一瞥して小さく笑った。
「そうか。ようやくスタートラインに立ったな。」
翔太はその言葉の意味を噛みしめながら、改めて鉛筆を走らせた。焦る必要はない。誰かと競うためじゃなく、自分のための椅子を作る。それが、翔太にとっての「本当の挑戦」の始まりだった。
(18話へつづく)
(文・七味)