翔太が「木と対話する」という感覚を少しずつ掴み始めた頃、工房にひとつのニュースが舞い込んできた。
「佳奈、コンペで賞を取ったらしいぞ。」
村上の何気ない一言に、翔太は驚いて顔を上げた。
「え? 佳奈が?」
「おう。若手家具職人のコンペで入賞したそうだ。」
翔太は、思わず佳奈の方を見た。彼女は作業台で木を削っていたが、ちらっと翔太の視線に気づくと、「なに?」と少し照れくさそうに笑った。
「……すごいな。」
翔太がそう言うと、佳奈は苦笑いしながら「まあね」と肩をすくめた。
彼女が出品したのは、シンプルなスツールだった。しかし、デザインは洗練され、木材の質感を活かした柔らかなフォルムが特徴的だった。何よりも、使う人の手や体が自然と馴染むように設計されており、座った瞬間に安心感を与えるような椅子だった。
「どうしてこれをデザインしたんだ?」
翔太が尋ねると、佳奈は少し考えてから答えた。
「私、いつも思うんだよね。家具って、ただそこにあるだけじゃなくて、人の暮らしに寄り添うものじゃなきゃいけないって。」
「うん。」
「だから、このスツールも、誰かがキッチンでちょっと腰掛けたり、玄関で靴を履くときに使ったり、そういう『暮らしの中に溶け込む』ものを作りたかったの。」
翔太は、その言葉に圧倒された。佳奈は、自分が今まさに模索している「家具の本質」にすでに気づいていて、それを形にする力を持っていた。翔太は嬉しさと同時に、どこか焦りを感じていた。
「俺は……まだ賞を取れるレベルじゃない。」
確かに、自分も少しずつ成長している実感はある。だが、佳奈のように「誰かのための家具」を明確にイメージし、それを形にできているかといえば、まだ自信がなかった。
知り合いや仲間、村上も、佳奈の受賞を祝福していた。翔太も「おめでとう」と言葉をかけたが、どこか素直に喜べない自分がいた。
その夜、翔太は一人で工房に残り、自分の作業台に向かっていた。目の前には、作りかけの椅子がある。しかし、どう手を加えればいいのか、わからなくなっていた。
「……くそ。」
鉋を握る手に力が入る。悔しさがじわじわと胸に広がっていく。
「俺だって、頑張ってるのに……。」
ふと、工房の奥から足音が聞こえた。振り向くと、佳奈が立っていた。
「まだやってたんだ。」
「ああ。」
翔太は、ため息混じりに答えた。佳奈は彼の作業台を覗き込み、「悩んでるね」と呟いた。翔太は黙って頷いた。
「……なんかさ、焦るんだよ。」
翔太は思い切って自分の気持ちを口にした。「佳奈が賞を取ったのは、本当にすごいことだと思う。でも、それと同時に、自分がどこにもたどり着けてない気がしてさ。」
佳奈はしばらく翔太を見つめた後、少し笑った。
「それ、私も同じこと思ってたよ。」
「え?」
「コンペに出してるときも、『翔太はどんな椅子を作るんだろう』って、ずっと気になってた。村上さんに褒められたり、翔太が『いいじゃん』って言ってくれたりするたびに、『次はもっとすごいもの作らなきゃ』って思ってた。」
翔太は目を見開いた。佳奈もまた、彼と同じように悩み、葛藤しながら前に進んでいたのだ。
「だからさ。」
佳奈は翔太の椅子をそっと撫でながら言った。
「翔太は翔太のペースで、自分の椅子を作ればいいんじゃない? 私は私の道を行くけど、翔太も自分の道をちゃんと見つけてるんだからさ。」
その言葉を聞いたとき、翔太の心の中のモヤモヤが、少しだけ晴れた気がした。
「俺は俺のペースで、俺の椅子を作る。」
その言葉が、翔太の胸の奥にすとんと落ちた。佳奈の成功は、確かに眩しかった。でも、それは翔太にとって「負けた」という意味ではなく、「もっと頑張れ」という励ましでもあったのだ。
その夜、翔太は改めて自分のスケッチブックを開いた。焦る必要はない。自分のペースで、誰かの暮らしに寄り添う椅子を作る。それを見つける旅はまだ終わっていない。
「よし……もう一回、考え直そう。」
翔太は、鉛筆を手に取り、新しいデザインを描き始めた。佳奈が自分の道を見つけたように、翔太もまた、自分だけの椅子を追い求めていく。
佳奈の成功は、翔太にとってひとつの壁だった。しかし、それは乗り越えるべき壁ではなく、もっと先へ進むための道標だったのかもしれない。
翔太は静かに、けれど確かな決意を胸に、新たな挑戦へと歩き出していった。
(17話へつづく)
(文・七味)