翔太が家具職人を志して以来、実家に帰る機会はめっきり減っていた。村上の工房での修行が忙しく、帰宅しても疲れ果ててそのまま寝てしまう日々。気がつけば、実家の両親とはほとんど会話をしていなかった。
そんなある日、久しぶりに実家に帰ることになった。工房での作業が一区切りつき、少し時間ができたこともあったが、何より翔太には心のどこかでずっと気になっていたことがあった。それは、父のことだった。
翔太の父・上野誠司は、代々続く大工の家系に生まれたが、家業を継がず普通の会社員として働いていた。翔太が木工に興味を持ち、家具職人の道を選んだことに対して、父は特に反対はしなかったが、積極的に賛成するわけでもなかった。母は「お父さん、翔太が職人になるって決めたとき、何も言わなかったけど、本当はどう思ってたのかしらね」と時折気にしていた。
「父は本当に、自分の選んだ道をどう思っているんだろう?」
そんな疑問が、翔太の心の片隅にずっと残っていた。そして今、自分なりに椅子を作り始めたこのタイミングで、一度父とじっくり話をしてみたくなった。
実家に帰ると、父はいつものように居間のソファに座り、新聞を広げていた。翔太が「ただいま」と声をかけると、父は新聞から目を上げて「おお、久しぶりだな」とだけ言った。特に感情を表に出すわけでもなく、相変わらずの無口な父だった。
夕食の後、翔太は意を決して父に話しかけた。
「俺、最近やっとまともな椅子を作れるようになってきたよ。」
すると父は少し驚いたように翔太を見たが、すぐにまた無表情に戻り、「そうか」とだけ答えた。その反応に、翔太は少し拍子抜けした。だが、黙ってしまうのももどかしく、さらに言葉を続けた。
「最初は全然ダメで、何度も失敗したけど、最近は少しずつ形になってきたんだ。村上さんにも、まだまだだけど前よりは良くなったって言われた。」
すると、父は新聞を畳み、静かに言った。
「木工ってのは、そんな簡単なもんじゃないからな。」
「……うん。」
翔太はそう答えながら、父が珍しく自分の話に乗ってくれたことに驚いていた。父は少し考え込むような表情をしながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「俺も昔は、大工になろうと思ったことがあった。」
翔太は思わず目を見開いた。父が大工になりたかったことなど、一度も聞いたことがなかったからだ。
「でもな、じいさんが言ったんだ。『この仕事は、好きなだけじゃやっていけない』って。そりゃあ、家を建てるのは楽しい。けど、仕事としてやる以上は、客の要望もあるし、金のことも考えなきゃならない。じいさんは、それが俺には向いてないと思ったんだろうな。」
父は少し苦笑しながらそう言った。翔太は、父がそんな理由で家業を継がなかったことに、意外な気持ちを抱いた。
「でも、お前は違うみたいだな。」
「え?」
「何だかんだ言って、お前は続けてるんだろ? 何度も失敗しても、やめようとは思わなかったんだろ?」
翔太は少し考えてから、静かにうなずいた。確かに、何度も挫折しそうになったことはあったが、「やめよう」と思ったことはなかった。それだけ、自分にとって木工が特別なものになっていたのだ。
父は小さくうなずくと、ふと居間の隅に目をやった。そこには、翔太が中学生のときに作った小さな木製の棚が置かれていた。
「あれ、まだ使ってたんだ。」
「まあな。お前が作ったやつだからな。」
翔太は思わず胸が熱くなった。口数の少ない父が、そんな風に自分の作品を使い続けてくれていたことが、何よりも嬉しかった。
「職人ってのはな、自分の作ったものが誰かの生活の一部になる仕事だ。」
父はそう言って、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。その言葉は、まるで村上の言葉と重なって聞こえた。
翔太は深く息を吸い、改めて自分の決意を口にした。
「俺、もっといい椅子を作るよ。誰かの生活に本当に馴染むような、長く使ってもらえるような、そんな椅子を作りたい。」
父は何も言わず、ただ静かにうなずいた。その沈黙が、翔太にとっては何よりの答えだった。
その夜、翔太は久しぶりに実家の自分の部屋で横になりながら、今日の父との会話を反芻していた。父は多くを語らないが、彼なりに翔太のことを見守ってくれていたのだと感じた。そして、「自分の作るものが誰かの生活の一部になる」という言葉が、これまでよりもずっと現実的に胸に響いた。
翔太は静かに目を閉じた。明日からまた、工房での新しい一日が始まる。けれど、その日々はもう、これまでとは少し違って見えるかもしれない。父との対話を経て、翔太は自分の進む道に、より確かな手応えを感じていた。
(13話へつづく)
(文・七味)