翔太の作業は毎日同じようでいて、少しずつ変化していた。村上の工房での日々は、朝早くから始まる。工房に入ると、まず道具の手入れから始めるのが翔太の日課だった。鉋やノミ、鋸などの刃を研ぎ、砥石の感触を確かめながら慎重に角度を保つ。その作業は、もはや義務感ではなく、儀式のように彼を落ち着かせ、集中力を高めてくれるものになっていた。
木工という仕事は決して派手ではない。むしろ地味で根気のいる作業がその大半を占める。木材を選び、切り出し、削り、磨き、組み立てる。その全てが、時間をかけて少しずつ進められる作業だ。翔太も、工房に入ったばかりの頃は「もっと早く完成させたい」と焦りを感じていたが、失敗を重ねる中で、一つひとつの工程を丁寧に行うことの大切さを学びつつあった。
そんな日々の鍛錬の中で、翔太は自分の体が自然と動きを覚えていくのを感じていた。例えば、鉋を使うときの力の入れ具合や、ノミで削るときの手首の角度。最初は村上に何度も注意され、ぎこちない動きを繰り返していたが、今では体が木材の抵抗を感覚で捉え、自然に調整できるようになってきた。失敗を恐れる気持ちが少しずつ薄れ、自分の動きに自信が持てるようになっていった。
しかし、村上の工房で鍛えられるのは手先の技術だけではない。翔太は次第に「ものを作る」という行為そのものと向き合うようになっていった。村上は技術的な指導だけでなく、物事の本質に触れるような言葉を時折投げかけてくる。
「椅子を作るってことは、ただ形を作るんじゃない。使う人の時間を作るんだ。」
その言葉の意味を、翔太はじっくりとかみしめながら作業を続けた。自分が削った木が、誰かの生活の一部になり、座る人にどんな気持ちや時間を提供するのか。それを考えると、今まで以上に一つひとつの工程に責任を感じるようになった。
一方で、佳奈との切磋琢磨も翔太の成長を後押ししていた。佳奈は工房に来るたびに新しいアイデアや技術を試し、村上からも高く評価されることが多かった。翔太はそんな佳奈に対してライバル心を燃やしつつも、彼女の作品から学ぶことも多かった。
「翔太、最近手つきが変わってきたね。」
ある日、佳奈がそう言った。自分では気づかなかったが、確かに彼の動きには余分な力がなくなり、滑らかになってきていた。それを意識すると、翔太は心の中で少しだけ誇らしい気持ちになった。佳奈も「悔しいな。私ももっと上手くならないと」と冗談めかして笑い、翔太は「じゃあ負けないように頑張れよ」と返した。
日々の鍛錬は、翔太にとって単なる反復作業ではなかった。毎日少しずつ上達していく自分を感じることが、次の挑戦への活力となっていた。そして、村上からの指摘や佳奈とのやり取りが、翔太の技術と考え方を磨き上げる原動力となっていた。
村上はいつも言う。「職人ってのは、毎日が積み重ねだ。その積み重ねが長い時間をかけて、お前だけの『仕事』を形にしてくれる。」翔太はその言葉を深く胸に刻み、自分のペースで進むことを意識するようになった。
そんなある日、村上が突然、翔太に新しい課題を与えた。「この木材で何か作ってみろ。何を作るかはお前に任せる。」村上が渡してきたのは、一見するとどこにでもありそうな普通の木材だった。特に目立つ特徴もなく、いわゆる「普通の木」だ。翔太は一瞬戸惑ったが、それは村上が翔太の成長を試そうとしているのだと感じ、すぐに気を取り直した。
「何を作るべきか?」
翔太はその木材をじっと見つめ、何度も触れて、その手触りや木目を確かめた。木材そのものが語りかけてくるような気がして、翔太は木の「声」を聞こうと耳を澄ませた。そして、自分の中で浮かび上がったイメージを元に、新しいスケッチを描き始めた。
日々の鍛錬は、翔太を少しずつ確実に成長させていた。それはただ技術を学ぶだけでなく、自分の中にある可能性を少しずつ引き出していく作業だった。翔太はその変化を実感しながら、「この木材で自分だけの何かを作る」という村上からの課題に向き合った。
鍛錬の積み重ねの先に何があるのかは、まだわからない。それでも、翔太は少しずつ手応えを感じながら、自分の未来へ向けて静かに進み続けていた。
(12話へつづく)
(文・七味)