「木材は家具作りのすべての始まりだ。」
ある日、村上がふと漏らした言葉が、翔太の心に強く響いた。村上の工房では、木材が山積みにされた棚があり、そこには様々な種類やサイズの木が整然と並んでいる。広葉樹、針葉樹、節のあるもの、木目が美しいもの。村上の椅子があれほど独特の存在感を持つのは、彼が選ぶ木材そのものが生き生きとした魅力を持っているからだと翔太は気づき始めていた。しかし、どの木材をどう選び、どのように使うべきかはまだ理解できていなかった。
その日、村上は工房の奥に翔太と佳奈を呼び寄せた。古い木の棚の前で、彼は一本の木材を手に取り、二人に見せた。「これはナラ。硬くて丈夫だが、加工には少し力がいる。重いけど、椅子の脚には最適だ。」次に手にしたのはスギの木だった。「こっちは柔らかくて軽い。でも傷がつきやすいから、座面や装飾向きだ。」村上は一本一本の木材を丁寧に説明し、それぞれの特徴や用途を教えてくれた。
翔太はその説明を聞きながら、木材の奥深さに改めて感心していた。それまでの彼にとって木はただの「材料」に過ぎなかった。しかし、村上の話を聞くうちに、それぞれの木には個性があり、家具を作るためにはその個性を理解し、適切な用途を見極めることが重要だとわかってきた。木材選びは職人の第一歩だという村上の言葉が、徐々に翔太の中で実感として腑に落ちていった。
ある日、村上が翔太に課題を出した。「お前が好きな木を選べ。そして、その木で何を作りたいかを考えろ。」翔太は工房の木材棚をじっくりと見て回り、一枚一枚手に取ってみた。手触り、重さ、香り——木材には一つ一つ違った表情があり、それを感じ取るたびに、どれが自分にとってふさわしいのか悩んだ。
最終的に翔太が選んだのは、一本のクルミ材だった。木目が穏やかで、ほんのりと暖かい茶色の色味を持っている。その木を選んだ理由を村上に聞かれると、翔太は少し考えてから答えた。「なんとなくです。でも、この木には優しさを感じる気がして。」村上はそれを聞くと少し微笑み、「それでいい。木と向き合うとき、最初に感じた直感を信じろ。それが一番大事だ。」と言った。
佳奈もまた別の木材を選んでいた。彼女が手にしたのはカバ材だった。硬くて白っぽいその木は、加工がしやすい代わりに傷が目立ちやすい特徴がある。佳奈は「この木、触ったときの感触が心地よかったんです。まっすぐで素直な感じがして。」と話し、それを聞いた翔太は、木材の選び方にも人それぞれの個性が現れるのだと感じた。
実際に選んだ木材を加工していくと、翔太はその難しさを痛感することになる。クルミ材は加工が比較的しやすいと言われていたが、それでも硬さや木目の向きによって鉋が引っかかり、削りすぎてしまうことがあった。一方で、木の香りや手触りが徐々に心地よくなり、「この木が生きているようだ」という感覚が芽生え始めた。作業を進めるたびに、翔太はクルミ材との距離が縮まっていくような気がした。
村上はときどき様子を見に来て、「木目をちゃんと読め。無理に削ると木が嫌がるぞ。」と助言をくれた。その言葉を意識しながら、翔太は慎重に刃を進めていった。木材を選ぶ段階から、加工を終えるまで——そのすべてが木との対話なのだと、翔太は少しずつ理解していった。
一方、佳奈もカバ材の加工に苦戦していた。硬さの均一さがかえって難しく、傷が目立たないように滑らかに仕上げるには細かな調整が必要だった。それでも彼女は器用に削り進め、次第に木材が形を帯びていく。翔太はその姿を横目で見ながら、自分も負けていられないと作業に集中した。
完成した小さなパーツを村上に見せると、彼はじっとそれを見つめ、「まあまあだな」と一言つぶやいた。「木材選びは職人の第一歩だ。けど、選んだ木をどう活かすかが次の段階だ。お前らはその入り口に立ったばかりだぞ。」その言葉に、翔太も佳奈も真剣な表情でうなずいた。
木材の選び方一つで、作品の出来は大きく変わる。翔太はその事実を実感しながら、もっと木材を知りたいという気持ちが強くなった。同時に、自分が選んだクルミ材とともに、自分だけの椅子を作りたいという思いが胸の中で芽生えていた。それは、翔太にとってまた新たな挑戦の始まりを意味していた。
(7話へつづく)
(文・七味)