村上の工房に入って半年が過ぎた頃、翔太は毎日のように木材を削り、椅子の試作品を作る日々を送っていた。しかし、その挑戦は孤独だった。工房の空気は張り詰めていて、村上は多くを語らず、翔太は黙々と自分の仕事に取り組むばかり。悔しさをバネにしながら努力を続けていたものの、思うようにいかない日が多く、心のどこかで一緒に頑張れる仲間がいればと感じることもあった。
そんなある日、工房に新しい見慣れない顔が現れた。小柄な体格の女性で、髪を後ろでひとつに束ねたラフな格好をしている。無造作に肩にかけたトートバッグからは図面の束や木材のサンプルらしきものが顔を覗かせていた。村上が「今日からここで学びたいって奴だ」と紹介すると、彼女は軽く頭を下げた。「橘佳奈(たちばなかな)です。よろしくお願いします。」
翔太は突然の新顔に戸惑いつつも、「よろしく」とぎこちなく答えた。同世代くらいに見える彼女は、どこか自信ありげで、翔太とは対照的に堂々とした雰囲気を持っていた。その初対面の印象が、翔太には少し圧倒的に感じられた。
佳奈が工房での作業を始めると、その手際の良さに翔太は驚かされた。彼女は村上に特に指導されることもなく、初日からすぐに鉋やノミを自在に操り、試作品らしき椅子のパーツを組み立てていた。翔太は目を丸くしてその様子を見ていたが、心の中には焦りや劣等感が渦巻いていた。「自分はまだ背もたれ一つまともに削れないのに……」
そんな翔太の心中を察したのか、佳奈は作業の手を止めて軽く笑った。「そんなに見られると緊張するんだけど。」不意に声をかけられた翔太は慌てて目をそらし、「いや、すごいなって思って」と正直に答えた。佳奈は肩をすくめるようにして言った。「私も全然だよ。実家が家具店だから、子どもの頃から触ってただけ。まだまだ下手くそだし、村上さんに教わらないとどうにもならない。」
佳奈の飾らない言葉に、翔太の心は少し軽くなった。それでも、「実家が家具店」という一言がどこか重く響く。彼女には土台がある。自分とは違い、既にスタート地点が先にあるのではないか。そんな思いが頭をよぎったが、それを口にすることはできなかった。
数日後、村上が新しい課題を二人に与えた。「小さな椅子を一つずつ作ってみろ。完成したら比べてみるんだ。」翔太と佳奈はそれぞれ木材を選び、黙々と作業に取り組んだ。工房にはただ鉋を滑らせる音やノミで木を叩く音だけが響く。翔太は必死だった。佳奈に負けたくないという思いが、いつも以上に力を入れさせていた。
完成した椅子を並べたとき、二人の個性がはっきりと現れていた。佳奈の椅子は端正で、美しいバランスを持っている。全体的に洗練されていて、どこか都会的な印象を与えた。一方、翔太の椅子は不格好だったが、しっかりとした作りで、素朴で温かみのある雰囲気があった。村上はどちらも手に取りながら「悪くない」と一言呟いた。
「でも、まだまだだな。これが椅子じゃなくて、ただの木片に見える人もいる。もっと魂を入れろ。」
村上のその一言に、二人とも真剣な表情でうなずいた。負けず嫌いな翔太は、佳奈の作品を改めて見直し、細部の丁寧さに感心しつつも、同時に闘志を燃やしていた。「次はもっといいものを作ってやる。」佳奈もまた、翔太の椅子の温かみに気づき、「この人、案外すごいかも」と思い始めていた。
それから二人は作業を通じて少しずつ距離を縮めていった。佳奈は手先が器用で作業スピードが速いが、大胆に木を削りすぎて失敗することもあった。一方の翔太は慎重すぎて時間がかかるが、一度完成させると頑丈で壊れにくい。お互いの弱点を補うように意見を交わし合いながら、二人は次第に良きライバルとしての関係を築いていった。
「いつか村上さんみたいな椅子を作りたいよね。」
佳奈が何気なく言ったその言葉に、翔太はうなずいた。「そうだな。でも、その前に俺たちなりの椅子を作るのが先だな。」その一言が、二人の間にある目標をはっきりと示した瞬間だった。
佳奈という仲間ができたことで、翔太の挑戦は少しずつ変わり始めた。孤独の中で迷い続けていた時間に、新たな風が吹き込まれたようだった。競い合い、学び合うことで、翔太はまた一歩、理想の椅子へと近づいていくのだった。
(6話へつづく)
(文・七味)