KOJIMAYAについて
ブランド価値
合同会社小島屋について
Brand Value of KOJIMAYA
KOJIMAYAのブランド価値は、和みと遊び心にあります。
KOJIMAYAは、長野県箕輪町に工房を構え、日本の伝統をベースに、新しい現代の感覚を取り入れ、木の特性を生かした製品づくりをしています。
生み出す製品には「和みと遊び心」があります。木製品はどこか和みを感じさせます。そして、デザイン性には、遊び心を感じさせます。それら二つの要素KOJIMAYAのブランド価値になります。
Brand Vision of KOJIMAYA
日本美が宿った製品を、ひとつでも多く産み出す。
日本美が宿った製品をひとつでも多く産み出したいというビジョンのもと、オリジナル製品による3つのブランドも立ちあげました。それぞれのブランドにはそれぞれのコンセプトがありますが、KOJIMAYAのこだわる「日本美」は共通です。
私たちKOJIMAYAは、ひとつでも多くブランド製品を産み出すことに注力しています。それらの製品がお客様の生活の一部となり、暮らしを豊にできればと思っています。
行き着くは、製品やブランドから「もののあわれ」が感じられる境地を目指します。
Brand Mission of KOJIMAYA
−モダンコンテクスト−
現代の文脈に寄り添い蘇らせる。
すばらしい伝統、昔ながらの技法、それらを無くしてはならぬ、いつもそんな想いが駆け巡ります。そもそもそれら無くしてモノづくりはできないはずです。今この時代を生きているものとして、使命として、現代の文脈に寄り添って、蘇らせることです。
ともすると、伝統や技法を重んじるあまり、自己満足に陥り、古くさく、時代にあっていない、生活になじまない、そんな製品を作りがちです。
そうならないためにも、自らの戒めとしても、現代に寄り添うこと、伝統や技法を蘇らせることを使命とします。
−モダンコンテクスト−
そのワンフレーズには奥行きがあり、様々な想いが詰まっています。そのワンフレーズを胸にブランドを前進させていこうと思います。
Brand Support of KOJIMAYA
職人技と素材が支えています。
日本美が宿った製品をひとつでも多く産み出すこと、現代の文脈に寄り添い蘇らせる、それらの実現には、職人技と素材の力が必要です。木という身近にありながらもとても奥行きのある素材と、そして何よりもこの腕と技で、それらの実現へと導いていきます。
KOJIMAYA WAY
BRAND STATMENT
顧客の幸福を実現する最良の製品を作り、地球に悪影響があると思われるものは合法でも最小限に抑える。製品を通じ、侘びた寂びた世界観の創造を目指す。
社名:合同会社 小島屋
代表:小島 俊明
所在地:〒399-4602
長野県上伊那郡箕輪町東箕輪724
TEL:0265-98-7799
FAX :
0265-98-6663
MAIL:info@kojimaya.work
資本金:50万
KOJIMAYA CEO
小島俊明 - KOJIMA TOSHIAKI
1977 長野県生
【 覚書 】
KOJIMAYAのコンセプトテーマは「無力光照」
【無力であること】
過去を振り返る−
手を動かす前に、まずしなければいけなかったのは、言葉の習得であった。いわゆる業界用語というやつだ。それを知っていなければ仕事にならないからだ。例えば、一番わかりやすいところで言えば、同面(どうずら)。「同面に合わせたい」などの言葉が現場では飛び交う。同面とはつまり、字の如く、面を同じレベルに揃えることである。その他にも多数あるが、それを習得する日々であった。同時に、先輩のお手伝いから始まった。単純作業はもちろん、材料を運ぶ、現場の助手など、今で言う、木工や技、職人芸などとは程遠い作業ばかりであった。しかし、それは基礎とも言えるのだが、当時その渦中にいると、忍耐力が勝負であったのは間違いない。モノづくりにおいて忍耐は必須である。それを認識できたのはありがたい経験であった。今でも耐えられているのはその経験のおかげである。
【 衝撃から気付き】
ある日東京で見た漆の木工品を見て衝撃を受けた。今まで見た家具の塗装とは違かった。それとともに、合板ばかりの作業であったことから、無垢材への憧れがさらに芽生えた。そして、会社を辞め、無垢材を使った木工をやりたいと思い職業訓練校である上松技術専門校へ通い始めた。無垢材技術の習得に始まり、漆の基礎知識を習得した。卒業とともに木曽の木工の製造販売会社に勤めた。実際の現場を経験するとともに、東京はじめ全国へ展示販売をした。思えばここで初めて、モノづくりと、ビジネスが絡んだ。売り方がよければ売れるし、悪ければ売れない。つまり良いものを作っただけでは売れることはない。無力を感じた。しかし、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
【 独立】
無力への反発からなのか、独立を決めた。小島屋の始まりである。顧客はもちろんいない。不安でしょうがなかったが、作る尊さが身にしみてわかった。いろんな営業活動をしつつ徐々に顧客を増やしていった。それと比例するかのように、木工の技術は高まっていった。もちろん、情熱や志も一層熱を帯びていった。ここで顔を出したのは「無力」であった。自然素材を材料にしているせいなのか、その無力感を感じざる負えなかった。今もその無力感はましている。経済との折り合いをつけるたびに無力が顔を出す。いくらもがいても無力はつきまとう。無力が一つの取り組むべきテーマとなった。法人化もしてまだ日は浅いのだが、そのテーマがあるのは非常に幸運でもあったのかもしれない。「無力」それはものづくりにおける根源的なテーマであるかもしれない。